日の出|06時57分
日の入|16時40分
| 時間 | 00-06 | 06-12 | 12-18 | 18-24 |
|---|---|---|---|---|
| 降水確率 | 10% | 20% | 10% | 0% |
| 最大風速 | 西3m/s | |||
日の出|06時57分
日の入|16時41分
| 時間 | 00-06 | 06-12 | 12-18 | 18-24 |
|---|---|---|---|---|
| 降水確率 | 10% | 10% | 20% | 20% |
| 最大風速 | 西北西4m/s | |||
長野県佐久市にある「五郎兵衛記念館」。ここでは、江戸時代初期に私財を投じて五郎兵衛用水(2018年「世界かんがい施設遺産」登録)を開削し五郎兵衛新田を開発した、市川五郎兵衛真親(さねちか)翁の開拓の関係資料を展示しています。また、農具なども展示しています。
市川五郎兵衛真親は、戦国時代の元亀2年(1571)ころに、上野国甘楽郡羽沢村(現:群馬県南牧村)に生まれました。市川家は五郎兵衛が生まれたころは、甲斐国の武田家につかえていました。
ところが、五郎兵衛が生まれてまもない天正元年(1573)に武田信玄が死去し、さらにその9年後には、信玄の子勝頼も織田信長・徳川家康に攻められ自殺し、武田家は滅びてしまいます。これによって市川家は主を失ってしまいますが、それを見た徳川家康から仕官の誘いがあったと伝えられています。
しかし、市川家はその誘いをことわり、代わりに鉱山開発・新田開発をしてよいという「朱印状」を家康からもらいました。五郎兵衛は、この「朱印状」を根拠にして砥沢村(現:南牧村)で砥石山の経営を行うとともに、信州佐久地方へやってきて、新田開発を行いました。佐久地方へやってきた五郎兵衛は、蓼科山の山中の湧水を水源とし、その水を春日村地先で取水し、そこから約20キロメートルの用水路を開削して矢嶋原(のちの五郎兵衛新田)まで引いてきました。
そして、この用水を基に五郎兵衛新田を開発しました。こうした功績が認められて五郎兵衛は、寛永19年(1642)に小諸藩から、150石の土地を褒美領として与えられています。
| 日付 | 天気 | 気温 | 降水確率 |
|---|---|---|---|
| 01日 (木) |
晴 |
4℃ -7℃ |
20% |
| 02日 (金) |
晴のち曇 |
3℃ -5℃ |
40% |
| 03日 (土) |
晴 |
2℃ -8℃ |
20% |
| 04日 (日) |
晴時々曇 |
7℃ -10℃ |
20% |
| 05日 (月) |
曇時々晴 |
3℃ -2℃ |
40% |
| 06日 (火) |
晴 |
4℃ -8℃ |
20% |
| 07日 (水) |
晴 |
6℃ -6℃ |
10% |
| 08日 (木) |
晴 |
7℃ -7℃ |
20% |
| 09日 (金) |
曇時々晴 |
4℃ -6℃ |
40% |
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営業時間や定休日、料金などの詳しい情報は、最新の情報ではない可能性もあります。
| 名称 | 佐久市五郎兵衛記念館 |
|---|---|
| かな | さくしごろべえきねんかん |
| 住所 | 長野県佐久市甲14-1 |
| 電話番号 | 0267-58-3118 |
| 営業時間 | 09時00分 ~ 17時00分 |
| 定休日 | 月曜日 火曜日 祝日の場合は開館 祝日の翌日(土日祝の場合は開館) 年末年始(12月29日から1月3日) |
| 子どもの料金 | 無料 |
| 大人の料金 | 無料 |
| オフィシャルサイト | オフィシャルサイト |
| 交通情報・アクセス | --- |
| 駐車場 | --- |