1月11日、東松島市でも二十歳を祝う式典が開かれました。
伊藤律くん。東日本大震災が起きた15年前、5歳だった律くんは津波で亡くなりました。
式典に出席することはできませんでしたが、会場には律くんが描いた「二十歳の夢」がありました。
「二十歳を祝う会」が開かれた東松島市。今年度、およそ400人が二十歳を迎えます。
出席者からは、これまで支えてくれた人たちへの感謝の言葉が聞かれました。
「無事に20歳迎えられたので、今まで一緒にいてくれた親とか周りの人たちに感謝してという気持ちで臨みました」
「今までここまで成長してくれてありがとうという気持ちです」
「お父さんとお母さんにたくさんお世話になったので、きょう花束を渡してきて、かっこよくなった姿をちゃんと見せたいなと」
会場に飾られたのは、当時、保育園、幼稚園児だった出席者たちが、将来の自分に向けて描いた「二十歳の夢」。式典の思い出として、持ち帰ることができるように準備されました。
『20歳になったらぷーるのこーちになりたい』そんな夢を描いていた伊藤律くん。式典に参加することはかないませんでした。
当時5歳だった律くんは、東日本大震災の津波で亡くなりました。
東松島市の職員として、式典の運営を担当した伊藤健人さん、32歳。律くんのお兄さんです。
伊藤健人さん
「身の周りの20代の子たちとかを見ていて、まあきっと律もこれくらいの大人になったんだろうなあってしみじみと」
震災が起きた年の5月、健人さんは、東松島市の大曲地区で、律くんが大好きだった青いこいのぼりを掲げる「青い鯉のぼりプロジェクト」を始めました。
プロジェクトはその後も毎年行われていて、健人さんも現在、実行委員会の一員として関わっています。
伊藤健人さん
「一生に一回なので、とにかく参加した子たちの思い出に残ることが一番大事だと思っている」
大事な晴れの舞台を…市の職員として、そして「兄」として、運営に奔走しました。
遠藤公美子さん
「多分プールのコーチはアカデミーのプール教室みたいなのに行って夏場描いたから、その思い出で描いてくれたんじゃないか。」
伊藤健人さん
「こういう夢一回も聞いたことない(笑)」
会場には律くんを知る人たちも訪れていました。幼稚園の担任だった遠藤公美子さん。
健人さんが始めた、「青い鯉のぼりプロジェクト」を通して、律くんを思い続けてきました。
2011年当時 遠藤公美子さん
「一匹律くんにと思って持ってきました。これも一緒に揚げてもらえたらなと思って」
遠藤公美子さん
「なんかここに律くんがいないんだなと思うのは、ちょっと寂しいですけど、何かそばにいるんじゃないかなって。ずっと。ずっと15年間そう思って過ごしてきてたので、きっと今も一緒にいるんじゃないかなと思います」
同級生も律くんを思ってくれていました。
「いつもかくれんぼとかしていて、いつもあまりしゃべらないんですけど仲良くしてもらっていた。プールのコーチになりたかったんだなと思って、会いたくなりました」
伊藤健人さん
「きっと今ここにいる20歳の皆さんと同じくらいな感じで、スーツを着ていたんだろうなというところはふと思いましたけど、そういう姿は見られないですけど、心の中では新成人おめでとうというのはしっかりと伝えておいたので」
「寂しくなる時ありますけどね。自分の心の中とかにしっかりいるとずっと思っているので」
『新成人、おめでとう』律くんが描いた「二十歳の夢」は兄の健人さんが大切に、持ち帰りました。