奈良時代から平安・江戸と「梅の花」を通して日本人の感性の変遷を見てみました。今を生きる私たちは「梅の花」を見てどのような表現をしているのでしょうか。近代、現代の短歌をさぐってみましょう。
「早春の銀の屏風に新しき歌書くさまの梅の花かな」
与謝野晶子
自分の思いをストレートに表現した歌で注目を浴びてきた晶子です。ここでは「梅の花」の姿も香も描かず、歌人の心の叫びを真っ直ぐぶつけてくる表現に、晶子の溢れるエネルギーを感じます。
「針の穴一つ通してきさらぎの梅咲くそらにぬけてゆかまし」
馬場あき子
糸を通そうと見つめていた小さな穴。やっと通った糸の先に広がる空への開放感が「梅の花」とともに春を迎えた喜びと重なります。
「てのひらに 載るほど遠景の 夫子(つまこ)らを 紅梅の木ごと 掬はむとせり」
河野裕子
家族でやって来たのに気づいたら子どもたちと夫はもう遠くに。スナップショットに納めるようなシーンを「掬う」と表現することば選びに、歌人らしさと家族への愛を感じます
近代・現代の歌を拾ってみると早春の風物としての「梅の花」は楽しむだけでなく、自分の生きる日々や生きざまに結びつけていることに気づきます。日常生活の悲喜こもごもすべてを受け入れ、前を向いて幸せを見つけようとする女性の逞しさが歌の力となっていると感じます。
奈良時代から現代まで1300年の時を経ても「梅の花」が早春に咲くことに変わりはありません。季節を重ねながらどのように楽しみ、自分たちの生活に引き寄せていくのか。それぞれの時代の人々で変わっていきました。あなたにとっての今年の「梅の花」を、思いきって「五七五七七」に残してみませんか。人生の道しるべの一つとなること請け合いです。
参考:
『ブリタニカ国際大百科事典』
『日本国語大辞典』小学館
『新編日本古典文学全集』小学館
『新選与謝野晶子歌集』講談社文芸文庫
『現代女流短歌全集1 歳月:河野裕子歌集』短歌新聞社
『現代女流短歌全集2 暁すばる:馬場あき子歌集』短歌新聞社
<ボストン美術館><メトロポリタン美術館>