生命の樹のエピソードは、キリスト教の始祖であるイエスに結びついてゆきます。
最初の人間、アダムが死ぬと、息子の一人セツは大天使からの命を受け、エデンの園に封印された生命の樹から種子を貰い受け、死んだアダムの舌に種子を載せて葬ります。その種子から三本の樹が生え、やがて一つに融合して大木となり、後にノアの箱舟の木材となった後、めぐりめぐってキリストの磔刑の十字架になった、といわれます。
このことから、磔されたイエスは、そのまま第二の生命の樹になぞらえられるのです。
イエス・キリスト伝説の原型の一つとされる、現代のトルコ地方から発し、フリギアの民に信仰されてギリシャ神話に習合された太陽神・アッティスは、処女神ナナから生まれたとされます。ナナは、両性具有の神アグディスティスの切り取られた男根が落ちた場所から生えたアーモンドの木のそばを通りかかり、その実を手に取って胸に押し当てると処女懐胎し、アッティスを生み落とします。アッティスは成人した後、大地母神キュベレーの呪いを受けて、自ら男性器を切り取って死に、3日後に復活、永遠の命を得た、という神話があります。
アッティスが復活したとする春分を迎えてもっとも近い日曜日は、陽気にどんちゃん騒ぎにふける日とされました。大地母神キュベレーの女司祭に扇動された人々は、異性装やコスプレをして踊り、太鼓を打ち鳴らし、飲んだくれたとされています。この祭りが、イースター(復活祭)の起源のひとつとも言われます。
今の私たちが、やはりイースター前後に咲くサクラの木の下で、飲んだくれてドンチャン騒ぎするのと似ていないでしょうか。
つまり、サクラの花が強く性愛と死のイメージを持つ理由とは、「生命の樹」という神話から生じた死と再生、性の宴に彩られた信仰習俗が遠い昔中東で生まれ、そのシンボルとなったアーモンドの木への信仰はイスラエルの聖典・旧約聖書に受け継がれ、やがて先史日本に流れ着き、春分の頃それとそっくりの花を咲かせるサクラの木がアーモンドに見立てられて崇拝されるようになったから、ということはないでしょうか。
山口県下関市の彦島八幡宮には、「恐れの杜」の「祟り岩」と呼ばれる不思議な遺跡が知られており、そこに紀元前2000年前後の頃に使われていたセム語系シュメール文字がツングース系の文字と混合した不思議な文字が刻まれた七つの岩石があります。解読してみたところ、「最高の大地母神が、シュメール・ウルク王朝の最高司祭となり日の神の子である日子王子が神主となり、7枝樹にかけて祈る」とあります、まさにイスラエルの七枝燭台=メノラー=生命の樹の信仰が伝わっていた証であり、アーモンド=生命の樹信仰と、サクラ信仰とが関係していることは推測できるのではないでしょうか。
サクラは情熱(パッション)をかきたてる、と先述しましたが、イエスの磔刑と言う受難のことも「パッション」と言います。ヘブライ語でアーモンドを指すシャーケード(shaqedh)という音は、日本語のサクラに転じ得る、とも想像できます。
サクラの魔性が見せたものかもしれない、時代と世界を股にかけた幻のような考察・妄想の締めに、俳聖・松尾芭蕉の句を一つ。皆さん、よいお花見をお楽しみください。
さまざまのこと思い出す桜かな (松尾芭蕉)
彦島八幡宮・ペトログラフ