能登半島地震と豪雨で二重の被害を受けた輪島市の白米千枚田。復興3年目の米作りの第一歩、田植えに向けて準備が進められている。そしてこの春、移住して作業に加わった1人の男性がいる。
千枚田で被災し能登に移住を決断
酒井和也さんはこの春から輪島市に移住し、白米千枚田を手伝っている1人だ。酒井さんと初めて出会ったのは2025年12月のこと。珠洲市大谷町でイベントの取材をしていた時、ボランティアとして能登に関わっていた酒井さんが、仲間のもとにリンゴを土産に遊びに来ていた。その場でこんなやり取りがあった。「酒井さん、輪島の人になるそうです」「え、移住してくれるの?」「千枚田の方に…」
地震発生の元日、酒井さんは観光で千枚田を訪れていた。「揺れた当時はもう、本当にアスファルトが波打ってるように見えましたね」孤立した5日間、地域の住民たちが家にある食材を持ち寄り、炊き出しをして旅行者たちを支えてくれたという。「その間食事に困ることもなく、大変いろいろ助けていただいて」2024年1月6日、酒井さんは自衛隊のヘリコプターで救助され、その後、自宅のある愛知県に無事到着した。
愛知からエール「必ず恩返しに」
愛知に戻った後も、酒井さんはずっと千枚田で出会った人たちのことが気になっていた。能登半島地震発生まもなく放送された石川テレビの特番に、酒井さんはメッセージを送りアナウンサーが読み上げていた。「酒井さんからです。愛知県から白米千枚田に元旦に旅行に行き、滞在中に地震により被災しました。不安な中、道の駅の従業員様や地元の皆様が食料や物資を持ち寄ってくれました。状況が落ち着いたら、必ず恩返しに伺います。どうか皆様、ご無事でいてください」
あの5日間が、酒井さんの心に深く刻まれていた。「地震で大変な時なんですけど、孤立した旅行者の人たちのためにということで、すごい動いてくれたんですよね。それが本当に心に残っておりまして、この千枚田、本当にしっかりと関わりたいという気持ちがずっとあったんですよ」
酒井さんはその後、ボランティアとして能登と関わりを持つようになった。震災後、月に2回ほどのペースで輪島を訪れ続けた。そして、いつか千枚田で自分も米を育てたい。その思いは日に日に増した。2026年3月1日、酒井さんは輪島市地域おこし協力隊に就任。地震から2年余り、念願の千枚田での米作りに携わることになった。
「黙々と働く」先輩たちからの信頼
これまで農業の経験がなかった酒井さんは、白米千枚田愛耕会の先輩たちから指導を受けながら作業に携わっている。この日の作業は田起こし、田植えを前に土を掘り起こす作業だ。「やっぱり足も取られるし、慣れない作業ということで大変は大変ですね」そう話す酒井さんに、この日の指導役の出口彌助さんが声をかける。「休んでやればいいよ。この田んぼがどんな田んぼかをまずは感じてもらわないと」
出口さんは以前から愛好会メンバーの高齢化を問題と感じていた。以前の取材では「田んぼをやることは私の生き甲斐かも知らんね。だからできればそれを若い人たちに継承していければ」と答えていた。酒井さんの働きぶりについて聞くと、出口さんは「真面目で頑張り屋さんやわ。黙々と働くからね」と答えた。そして「後継ぎじゃないけど、自分の子供に引き継げなかったからね。やってみようかなっていう、そういう気持ちを持ってくれるだけでも嬉しいですよ、楽しみにしてる」と嬉しそうに語った。
白尾友一会長も温かく見守っている。「期待はそれは多いんですけど、でもやっぱり初めてなんで。これから3年間一緒にここで生活していく中でまた気が変わるかもしれないし、だから嫌いにならないようにゆっくり育てていきたいなって」
「白米千枚田と関わり続けたい」
地域おこし協力隊の任期は最大で3年。酒井さんは将来のことをこう語る。「協力隊としての任期は3年なんですけど、それ以降も白米千枚田と関わり続けたい、愛好会の方とも一緒にやっていきたいという気持ちはあるので、続けていきたいと思っております」
能登の食べ物について聞くと「おいしいです。本当に魚が特に」と笑顔を見せた酒井さん。さらに能登の魅力とは何かと聞くと「能登は人ですね。地震の当時も、ご自身が大変な中でも『他の困っている人のために』と動いてくださっている人たちをたくさん見てきましたし、ボランティアに来てもやっぱり人の温かさにたくさん触れてきましたので」
(石川テレビ)

