阪神・淡路大震災でひとり息子を亡くした、広島市在住の加藤りつこさん。震災の記憶と向き合いながら、各地で思いを語り続けてきた。
高齢になり「もう卒業したい」と思うこともあったという。それでも31年目の1月、彼女は再び神戸に立っていた。
「私には、古い歴史じゃない」
「古い歴史の1ページだと思う人がいるのは当然です。でも、私には違うんです」
神戸市立有野北中学校。生徒たちに語りかけるのは、広島市安佐北区に住む加藤りつこさん(77)だ。
「1995年1月17日は、私の心のまだ一番新しいところにあります」
阪神・淡路大震災。当時、神戸大学2年生だった最愛の息子・貴光さんを失った。
6400人以上が命を落とした未曽有の災害は、加藤さんの日常と時間の流れを大きく変えた。
「ああ…貴光だ」消えない記憶
2026年1月16日、新神戸駅の新幹線改札前。
久しぶりに顔を合わせた友人と手を握り合い、加藤さんは笑った。
「また今年も来ることができた」
息子が亡くなった地を、加藤さんは毎年訪れている。
貴光さんが住んでいたのは、西宮市のマンション。今では新しい住宅が立ち並ぶその場所を、加藤さんはしばらく黙って見つめていた。
「うつぶせになって、少し右の頬が見えるような状態でした。それを見た瞬間、『ああ…貴光だ』と思って。そのとき初めて、この子は亡くなったんだと実感しました」
当時、倒壊したマンションの一角だけがきれいに片付けられていた。敷布団の上に寝かされていた息子の姿。その光景は、31年が経った今も鮮明に心に残っている。
31回目の追悼式 揺れる灯の中で
息子が生きていた証をつむぐため、加藤さんは命の尊さを若い世代に伝えてきた。
「卒業したいな、と思う時もあります。でも、私でなければ語れないものがあると求めてくださる方がいる。その力に、ずっと背中を押されています」
そして迎えた、31回目の追悼の日。
「阪神淡路大震災1.17のつどい」では竹灯籠が並び、一本一本に火がともされている。
まだ暗い夜明け前、訪れた人たちは足を止め、祈りを捧げる。
午前5時46分、加藤さんも静かに目を閉じた。
「悲しみは消えないです。でもその悲しみと一緒に、喜びもたくさん見つけることができました。喜びの中に悲しみがずっと付きまとっているけど、喜びが多くあれば悲しみも少し和らいでくる。そんな31年ですね」
深い悲しみに見いだした“喜び”
ひとり息子を失った深い悲しみの中で、見いだした“心の支え”。加藤さんは、それを「喜び」と表現した。多くの人との“出会い”を生きる原動力にしてきたのだ。
一方で、31年の歳月とともに感じているのは、確実な衰えだ。
「年々、体の痛いところが増えてきて、『今年は行けるかな』って毎年思います。今年もここに来ることができてよかった。来年のことは確約できないけれど、希望としては来年も来られるように体調を整えて毎日を過ごしたい」
10年、20年、30年…。
節目をいくつ越えても、次の10年はやってくる。遺族の悲しみに“区切り”はない。それでも、自らの言葉で思いを語り続ける。
犠牲者の名前が刻まれた銘板。
加藤さんは今年も息子の名前をやさしくなで、ほほ笑みかけた。
(テレビ新広島)
