震度7を2度観測した熊本地震から、4月14日で10年を迎えた。直接死・災害関連死合わせて278人が命を落とし、住宅被害は約20万軒に及んだあの夜から、被災地はどう変わったのか。熊本出身で高校生のときに地震を経験したKTS鹿児島テレビの多田百合香記者が益城町を歩き、今も癒えない傷と、記憶を語り継ごうとする人たちの姿を伝える。
「一生残っているんだと思う」――心の復興の難しさ
2016年4月14日午後9時26分、熊本を最初の震度7が襲った。2日後の4月16日未明には本震が発生。まだ寒さの残る春先の深夜、多くの人が家族と身を寄せ合いながら屋外へ避難した。
直接死・災害関連死で45人が亡くなり、約98%の住宅が被害を受けた益城町。あれから10年が経ち、がれきの風景は一変した。新しく建て替えられた住宅が立ち並び、復興は確実に進んでいる。
しかし、篠原晴美さん(78歳)が「難しい」と語るのが心の復興だ。
「怖かったという思いは消えない。いつまで経っても消えないと思う。一生残っているんだと思う」
自宅で当時撮影した写真を手に、篠原さんはそう語った。崩れ落ちた瓦、押しつぶされた1階部分――写真が映し出す光景は鮮明なままだ。
「今は笑って過ごしているけど、地震の後に夫が亡くなったのよ。地震の時にうつ病みたいになって」
災害関連死には数えられない地震の傷が、今も家族の中に残り続けている。
「また同じことが色々な所で起きる」――体験を本に残した理由
益城町から約20キロ離れた甲佐町。認知症の入居者9人とスタッフとともに避難生活を送ったグループホーム経営者の高橋恵子さんは、その経験を本として出版した。
地震発生時、避難の難しさは想像を絶するものだった。
「アラームが鳴るでしょ。みんなは『ワーッ』と外に出ていく声が聞こえるが、私たちは布団かぶって、横になることしかできなかった」
認知症を抱える入居者を一人ひとり背負って一気に外へ出ることはできない。最初の避難先は和式トイレしかなく、職員が自分の膝を台にしてトイレを介助した。
本には、避難生活の体験にとどまらず、ボランティアへの配慮や備えておくべき物資など、当事者だからこそ書けた情報が詰まっている。執筆の動機を高橋さんはこう語った。
「10年経った時にきっと熊本地震を知らない人が出てくるんだろうなと思って。あの時のことは後世に残さないと、また同じことが色々な所で起きるのではと思った」
「お祝いしてくれる、そんな気持ちがうれしい」――空を舞うブルーインパルス
4月11日、熊本市の上空をブルーインパルスが華麗に舞い、白い飛行機雲が一直線に伸びた。それはまるで、地震後も顔を上げて前に進む熊本県民の姿を象徴しているようだった。
「復興をお祝いしてくれる、そんな気持ちがうれしい」と話す益城町民の言葉が、10年の歩みを物語る。
熊本の象徴・熊本城の復旧には、なお30年近くかかるという。被災地の復興は、まだ道半ばだ。それでも潮井神社に残された横にずれた石段と倒れた神木が語りかけるように、記憶を伝え続けることが次の災害への備えとなる。
地震のことを次の世代へ。10年という月日を経て被災地を歩き、その大切さを改めて感じた。

