6400人以上が命を落とした阪神・淡路大震災から31年が経ちました。
亡き息子への思いを胸に広島から被災地に通う1人の女性を追いました。
【加藤りつこさん(77)】
「古い歴史の中の1ページだなと思うと思う。当然です。でも私には古い歴史の一部じゃないんです。1995年1月17日は私の心のまだ一番新しいところにいます」
真剣な表情の中学生に語りかけるのは、広島市安佐北区に住む加藤りつこさん、77歳。
あの日、神戸の大学に通っていた最愛の息子・貴光さんを失いました。
【加藤さん】
「また今年も来れた」
息子が亡くなった地を毎年訪れています。
【加藤さん】
「うつぶせになってちょっと右の頬っぺたが見えるような状態だった。それ見たときに『ああ貴光だ』と思いました。そのときはじめて私は『この子が亡くなったんだ』ということを実感した」
いまも鮮明によみがえる当時の記憶。
加藤さんは、貴光さんが生きていた証を“つむぐ”ため、自らの思いを若い世代へ伝えています。
「(語ることを)卒業したいなっていう時もあるが、でもできる間は私でなければ語れないものもあると求めてくださる方の力がすごくある。それですごく背中を押されている」
貴光さんの思いとともに活動を続けます。
そして迎えた31回目の追悼式。
《黙とう》
【加藤さんりつこさん(77)】
「悲しみは消えないですけどね、だけどその悲しみとともに、喜びを沢山見つけることができたというか、喜びの中に悲しみがずっと付きまとっていますけど、でも喜びが多くあれば悲しみもちょっと和らいでくる。そんな31年ですね」
一人息子を亡くし、つらい苦しみの中でこの31年の心の支えを“喜び”と表現した加藤さん。
たくさんの人と出会うことを1つの“生きる原動力”にしてきました。
一方、31年の月日とともに、感じているのは身体的な衰えです。
【加藤さん】
「年々体の痛いところがいっぱい出て『今年は行けるかな…』と毎年そういう思いだが、今年もここに来ることができてよかった。来年も(来る)ということは確約はできないけど、希望としたら来年も来ることができるように体調を整えて毎日を過ごしたい」
《スタジオ》
今回取材をした片平記者は、どの災害においても時間と共に風化が懸念される中で、被災者や遺族の思いを伝える輪をどれだけ広げられるかが大切になると感じたということです。
